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gimhayaact

いちばん好きなピアスのこと

だめかもしれない、と、半ば確信に近い思いがある。

街を歩くだけで涙が出てくる。笑える。

長い髪、ベビーカー、一瞥すらしないキャッチ。もうこぼれてしまった。

ぴったりはまることがなくて、どこにも存在していいという価値を見出すことができない。

自分の個性なんてないのに、すがっているふりをして、うまくない媚びを売る。

中身がない。街を歩くと、きらきらした髪の毛の女性が、同じくきらきらしたピアスを付けた色黒の男性とベビーカーを押している。私は、子どもをとても恐れている。どうしても、その葛藤を乗り越えられない私を尻目に振ることもせず、幸せそうな家族にどんどんと追い抜かれていく。

そんなこと考える必要なんてないと思う。幸せになることに権利なんていらないから。そういう世界に生きている。だから結局、こんなこと、幸せになれない卑屈な私の妬みなんだと思う。

人は、幸せになれないとしても生きていていいのか。いやそんなことないのではないか。人は、人として生まれたのならば、幸せを目指すべきなのではないか。幸せでないとしても幸せであるように、幸せを目指しているかのように振る舞うべきではないか。

自分だけが感じる自己嫌悪。どうしてこんな人間が街を歩いていていいだろうか。

街を歩くとき、それは分不相応なお店で虚勢をはる時に似ている。周囲から舐められまいと、できるだけ堂々として、前だけを見据えて、誰とも目を合わせないようにスタスタ歩く。こんなことをしても、誰からも気にされていないのに。辛い。そうしないと街に出られないことが、本当に辛い。

いつから私は街を歩くことを怖がるようになったのだろう。はじめは気分を上げるために、一日を楽しくするためにつけていた、お気に入りのピアスはもはや、それがないと街に繰り出せない必需品となった。

いちばん好きなピアスが今のところ私の手を離れる予定はないけれど、いつかのそのときのために少しずつ、無い生活にも慣れていかなければならない。と最近ようやく思うようになってきた。

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