ような生活でいいと思う。何をするにも効率効率でいかに短い時間で多くのことをこなせるかが重視されるのは窮屈だと感じる。暮らしのさまざまなところに経験からくるこだわりと適切な順番があってそれを乱されるのを嫌う。
ファスト映画しかりTikTokなどのショート動画が人口に膾炙する状況を危険だと感じている。徒歩が当たり前だった時代には言葉は人が運ぶもので、言葉の届く範囲あるいは遠くの人に言葉を伝えたければその範囲に相手が入るまで移動しなければならなかった。それから時代がくだると言葉は電波に乗り、ほとんど光の速さで飛び交うようになった。
言葉の共有に場所の共有が必須条件ではなくなった。
人生は何もしないには長すぎるが何かを成し遂げるためには短すぎるとかなんとか誰かが言っていたが、およそ多くの人は何かを成し遂げることを諦めていてしかし何もしないことに甘んじているわけではない。長いようで短い人生をより有意義に過ごすために、効率効率を求めるようになったのだと思う。
そんな状況で演劇にできることはなんだろうか。演劇の特徴、好きな時間に見ることができない、基本的に生で見ること(場所を共有すること)が推奨される、チケットはそこそこ高い、好みかそうでないかは観終わるまで分からない…などなど、なんとも時代にそぐわない娯楽だ。しかし心から感動する体験を得られることもしばしばある。これらはまるで魚釣りのようなもので、当たるか当たらないか分からないがとりあえず糸を垂らし、かかったら嬉しい。演劇とはそんな娯楽なのだと思う。
ひとつのことに集中して、周りが1から10を生み出そうと躍起になる中、着実に1ずつこなしていく。だし巻きを焼くためだけにだしをひくように、不器用ながらも丁寧に生きることと向き合っていたいと思う。
つまり何を伝えたいか、自分でだしをひいてつくるだし巻きはおいしいよねということだけです。
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