top of page
検索
gimhayaact

だし巻きを焼くためだけにだしをひく

ような生活でいいと思う。何をするにも効率効率でいかに短い時間で多くのことをこなせるかが重視されるのは窮屈だと感じる。暮らしのさまざまなところに経験からくるこだわりと適切な順番があってそれを乱されるのを嫌う。

ファスト映画しかりTikTokなどのショート動画が人口に膾炙する状況を危険だと感じている。徒歩が当たり前だった時代には言葉は人が運ぶもので、言葉の届く範囲あるいは遠くの人に言葉を伝えたければその範囲に相手が入るまで移動しなければならなかった。それから時代がくだると言葉は電波に乗り、ほとんど光の速さで飛び交うようになった。

言葉の共有に場所の共有が必須条件ではなくなった。


人生は何もしないには長すぎるが何かを成し遂げるためには短すぎるとかなんとか誰かが言っていたが、およそ多くの人は何かを成し遂げることを諦めていてしかし何もしないことに甘んじているわけではない。長いようで短い人生をより有意義に過ごすために、効率効率を求めるようになったのだと思う。

そんな状況で演劇にできることはなんだろうか。演劇の特徴、好きな時間に見ることができない、基本的に生で見ること(場所を共有すること)が推奨される、チケットはそこそこ高い、好みかそうでないかは観終わるまで分からない…などなど、なんとも時代にそぐわない娯楽だ。しかし心から感動する体験を得られることもしばしばある。これらはまるで魚釣りのようなもので、当たるか当たらないか分からないがとりあえず糸を垂らし、かかったら嬉しい。演劇とはそんな娯楽なのだと思う。


ひとつのことに集中して、周りが1から10を生み出そうと躍起になる中、着実に1ずつこなしていく。だし巻きを焼くためだけにだしをひくように、不器用ながらも丁寧に生きることと向き合っていたいと思う。


つまり何を伝えたいか、自分でだしをひいてつくるだし巻きはおいしいよねということだけです。

閲覧数:38回0件のコメント

最新記事

すべて表示

いちばん好きなピアスのこと

だめかもしれない、と、半ば確信に近い思いがある。 街を歩くだけで涙が出てくる。笑える。 長い髪、ベビーカー、一瞥すらしないキャッチ。もうこぼれてしまった。 ぴったりはまることがなくて、どこにも存在していいという価値を見出すことができない。...

カップアイスみたいな雲のした

浮かんでは消えていく思考の流れは止まらないどころか、どれが自分のものであったかもはや分からない。たくさんの流れと接しているとぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまって元の形なんて分からなくなってしまう。 エスカレーターに乗るタイミングが分からない。唐揚げとレモンサワーは「あう」らし...

止まれない

言葉を、やめてしまった。 言葉を? ものを書くことを。 感情が大きく動いたとき、この機微を忘れたくないと思ったとき、書きとめるようにしていた。少ない語彙から、精度の良いわけではない選び方で、感情をできるだけそのまま書きとめるようにしていた。 ことがあった。...

Comments


記事: Blog2 Post
bottom of page